鹿児島県阿久根沖に眠る一機の戦闘機「紫電改」。それは太平洋戦争末期、日本の空を守るために命を捧げた若き隊長、林喜重大尉の搭乗機です。
私たち北薩の戦争遺産を後世に遺す会は、この歴史の証人を引き揚げ、彼が生きた証と平和の尊さを未来へ語り継ぎます。
これは過去と未来をつなぐ、私たちの世代の使命です。
紫電改-零戦を超えた最後の切り札

紫電改(しでんかい)、制式名称「紫電二一型」。零戦に代わる新鋭機「烈風」「雷電」の開発が遅れる中、応急的に開発された戦闘機「紫電」の改良型です。
紫電の性能を大幅に向上させた紫電改は期待を遥かに超える高性能を発揮し、事実上の零戦後継機として、大戦後期の日本の空を守る主力戦闘機となりました。
生産機数は約400機と少数ではあったものの、精鋭部隊「第三四三海軍航空隊(剣部隊)」に集中配備され、その目覚ましい活躍から多大な知名度を獲得しました。
陸軍の四式戦闘機「疾風」と並び、日本軍の最優秀戦闘機と称されています。
| 項目 | スペック |
| 機体名称 | 紫電二一型(N1K2-J) |
| 全幅 | 11.99m |
| 全長 | 9.346m |
| 全高 | 3.96m |
| エンジン | 中島「誉」二一型 空冷複列星形18気筒 |
| 出力 | 1,990馬力(離昇) |
| 最大速度 | 推算値:644.5km/h(高度6,100m) 実測値:594km/h(高度5,600m) |
| 航続距離 | 1,715 km (正規) / 2,392 km (過荷) |
| 武装 | 主翼内:九九式二号20mm機銃×4挺 |
| 爆装 | 60kg爆弾×2発 または 250kg爆弾×2発 |
| 生産機数 | 415機 |
林喜重大尉-その素顔と人生

林喜重大尉の人物像
戦闘四〇七飛行隊を率いた林喜重大尉。司令官の源田実大佐は、その人柄を「仁将」と評したとされています。
部下からは「温情タイプですばらしい隊長」「兄貴のような人」と慕われ、その優しさで部隊をまとめていました。
普段は物静かで闘志を内に秘めるタイプ。しかし、同僚の菅野直大尉とB-29の空襲下で退避せず談笑していたという、剛胆さを示す逸話も残ります。
部下が戦死すると自室で一人涙したという姿は、まさに隊員の「肉親」のような存在でした。
林喜重大尉機-最後の出撃

1945年4月21日、林喜重大尉は1中隊3小隊長として国分基地から発進します。彼は自ら出撃表に名を書き加え、空へ向かいました。
鹿児島県姶良郡福山町(現在の霧島市福山町)上空でB-29、11機の編隊と会敵。激しい戦闘が始まります。
林大尉機は攻撃に集中するあまり僚機とはぐれ、単独で敵機を追尾。戦いの舞台は出水上空へ移りました。
そこへ応援に駆けつけたのが、第三中隊の清水俊信一飛曹でした。2機は協同で執拗な攻撃を敢行。そしてついに「1機撃墜」と打電します。
しかし、その直後に林機も被弾。エンジンを止め、巧みな操縦で脇本海岸へ滑空し、不時着を試みます。
最近公表された源田實司令(当時)が所持していた記録によると、機体は折口海岸の海面に激突。その際、機体に急ブレーキがかかったようです。[参考]
ブレーキの反動で、林大尉は計器盤に頭部を強打。頭蓋底骨折により、24歳の若さで生涯を閉じました。
紫電改・林大尉機の引き揚げプロジェクト

私たち北薩の戦争遺産を後世に遺す会は、林喜重大尉の最後の搭乗機である紫電改を80年の眠りから引き揚げ、その歴史と平和の尊さを後世に伝えるために本プロジェクトを立ち上げました。
プロジェクトの目的
- 慰霊と顕彰: 林大尉をはじめ、国のために戦った全ての人々の慰霊と、その功績を称える。
- 歴史の伝承: 引き揚げた機体を保存・展示し、戦争の記憶を風化させることなく後世に伝える。
- 平和教育への貢献: 実物の戦争遺産を通して、平和の尊さを学ぶ場を創出する。
>>「紫電改・林大尉機を引き揚げる会」公式YouTubeチャンネルはこちら
引き揚げた機体は、専門家の指導のもとで慎重に修復・保存処理を行います。
そして最終的には、海軍出水基地跡地に「海軍出水基地ミュージアム(展示館)」を設立し、平和へのメッセージを発信するシンボルとして恒久的に展示することを目指します。
寄付のお願い
引き揚げプロジェクトの達成は、私たちの活動の第一歩にすぎません。
機体を引き揚げた後、腐食を止め、未来永劫にその姿を保つための修復と保存処理が待っています。そして最終目標であるミュージアムの設立へ。
この歴史的遺産を後世に遺すために、皆さまのご支援をいただけると幸いです。寄付金の使途やお手続きの詳細は、下記ページをご覧ください。


